弘法にも筆の誤り
今回は、「弘法(こうぼう)にも筆の誤(あやま)り」を英語で表現してみます。

書道の名人といわれる、弘法大使(こうぼうたいし)でも、ときには書き誤ることがあるということから、意味としてはどんなに技芸に優れた人でも、失敗もあるというたとえですね。

この「弘法にも筆の誤り」、同義・類義のことわざは多くあり、有名なものだけでも

「猿も木から落ちる」

「河童(かっぱ)の川流れ」

「上手(じょうず)の手から水が漏(も)る」

「権者(ごんじゃ)にも失念(しつねん)」

「千慮(せんりょ)の一失(いっしつ)」


などが、挙げられます。

 

「その道の専門家でもときには謝ることがある」
ひいては失敗をしない人などいないものだ、というこの教え、英語ではどのように表現されるのでしょうか。


一般的に辞書などで紹介されているフレーズとしては、
“Even Homer sometimes nods. ”

(直訳)ホーマーでさえ、居眠りをする。

(意味)ホーマー《ほどの詩人》でさえ、たまには居眠りをする《居眠りでもしたような凡作を作る》。

出典は、ローマ帝政初期の詩人ホウチウスの言葉で、ラテン語の“Quandoque bonus dormitat Homerus”の翻訳にあります。

 

ここに登場するHomer、ホメーロスとも呼ばれるこの人物は、紀元前8世紀末(一説には紀元前10世紀とも)のアオイドス(吟遊詩人)であったとされ、西洋文学最初期の二大作品、叙事詩「 Ilida(イーリアス)」と「 Odyssey(オデュッセイア)」の作者と考えられています。

 

それほどの偉大なこのギリシャの詩人でさえも、ついうとうとと居眠りしてしまうことがある(または居眠りでもしたかのような凡作を作ることがある)。

 
ところで、“Even Homer sometimes nods.”の中にある nod

「頷(うなず)く」という意味をご存知の方は多いと思いますが、「うとうとと(居眠りを)する」という意味もあります。

名人にも失敗はあり、常に完璧である人はいない。まさに「弘法にも筆の誤り」ですね。

この表現は、古典から出典されており、日常的に使われるものではありません。

 

そこで紹介したいのが、イギリスの詩人アレクサンダー・ポープ(1688年~1744年)の

“ To err is human, to forgive divine. ”

(直訳)間違えるのは人間の性、許すのは神の業。

(意味)間違えない人などいないのだから、人のミスを責めるな。

 

"err" は動詞「誤る」「間違いをする」

その名詞の "error" はよく耳にする単語ですね。

"divine" は形容詞 「神の」「神聖な」「神々しい」という意味があります。

 
この表現も古典からの出展ですので、頻繁に使われるものではありません。
ですが、前半の部分 ”To err is human” のみで使われたり、比喩表現として後半部分を別のフレーズに置き換えたり、事が多いようです。

 
弘法にも筆の誤り

◎ 同じ意味をより日常会話的に表現してみると

 
"Everyone makes mistakes."
(みんなミスをするもんだよ)

"mistake" は名詞で「間違い、ミス」という意味があります。

「間違える」と表現したい時には、動詞 "make"を使って、

"make mistakes"

と言います。

例) "He made a big mistake."
彼は大きな間違いをした。

 

他者に対して寛容さを持つことの大切さも教えてくれる、時代や場所を越えても変わらぬ人間の真理を説くことわざですね。